この間、夫がカンボジアに出張に行ってきたんだが。そのとき、現地の人に聞いた話が興味深かったので、書いておく。
大虐殺が起きた後の国は、どういう風になるのか。
カンボジアは、単一民族国家。という感覚で、カンボジア人はとらえている。クメール人が人口の90%を占めるから、確かに、単一に近い国家ではある。
「何が悲劇といえば、同じ民族同士で虐殺しあい、戦い合ったことだ」
と『虐殺の現場』となった元高校、その当時は拷問&処刑場になっていた収容所を案内しながら、その人は、以下のような感じで解説してくれたそうだ。
一般的には、インテリ層や都市住民が虐殺のターゲットになったとされているが、そんな簡単ではない。
最初は、教師や医師などインテリだったが、次第に理由はどうにでも付けられるようになった。
農園で作業中に「空腹に耐えられず、きゅうりを1本食べた」という理由でも、一族揃って殺された。
身内であるポルポトの軍隊の兵士も殺され、最後は、刑務所の看守も殺された。
収容されたほとんどの人が殺されたが、生き残った人もいる。
ここでは5人が生き残った。この5人は看守だ。
「あそこに立っている白髪のおじさん、あの人は、その中のひとりだ。ここでガイドをしている」
「じゃ、あの人は、ここで虐殺に関わっていたってこと?」と夫が突っ込んだら。
「そうだ」
「それで、なんの罪にも問われていないの?」
「問われていないね」
それはなぜかと言えば、そんな人はいくらでもいるから。
カンボジア人で、家族・親族、友人を殺されていない人なんていないぐらいだ。
それと同じぐらい、虐殺に関わった人も大勢いる。
ひとつの村があれば、そこにひとりやふたりはいる。
「復讐されたりしないの?」
「いや、ないね。普通に暮らしているよ」
「周りの人は、許しているの?」
「いや、もう、考えないようにしているんだ。『戦争にならなければいい』って」
案内してくれた人は、20代なので、虐殺を直接は見聞きしていない。
上の世代、私たちと同年代の30代、40代はリアルに体験している。
そこで断絶があるようで、リアルに体験した世代が、追求を諦めているそうだ。
で、その世代が口にする
『戦争にならなければいい』
というのは、1970年代後半のクメール・ルージュの虐殺以降、延々と内戦が続くのだが、そちらの方が、ずっと、カンボジア人にはトラウマとなっているからだとか。報道はあまりされていないが、ヘン・サムリン、クメールルージュ、ソンサン、シアヌークなど諸派三つ巴の泥沼の内戦時代が、さらなる悪夢だったそうだ。
「クメール・ルージュは隠さずやったけれど、その後は、隠れてどの派閥も、反対派を次々と消していたから」
夜中にさらわれて戻ってこない。
出かけたまま、行方不明に。
陰惨さは、クメール・ルージュに負けず劣らずだったそうだ。
なので、和平協定が結ばれて、平和が維持されるようになって以降、
「戦争にならなければいい」
という一点だけで、みな、非難しあうことはないし、罪に問うこともしないことになったそうだ。
そのぐらい疲弊した末の、平和。
「同一民族内で殺し合うと言うことは、そういうことだから」
あの民族が憎い。○○教は異端だ。共産主義者は許せない。
となれば、理由ははっきりしているし、敵として憎むこともできるかもしれない。
しかし、隣人同士が殺し合った時、どうやって決着をつければいいのか。
「もう、罪には問えない。問い詰めて行ったら、また、戦争になるかもしれない」
許すとは言わなかったそうだが、見ないようにしないと、維持できないものがあるんだろうなと。
カンボジアでは、雨がちょっと多めに降ると、人の歯や骨が出てきたりするそうだ。
工事をしようと、穴を掘ると、服が出てきたり。
よくあることらしい。
そうやって、今も、虐殺の記憶と暮らしているんだよ。
余談だが、
「なぜ、ポルポトは、こんな虐殺をしようとしたの?」と夫が聞いたら、返ってきた答え。
「フランスへの留学が良くなかったと言われているね。中国共産党の思想に触れて、毛沢東がやろうとしたことを本気でやったんじゃないかと説明されている。それが、カンボジアは、単一民族だから、徹底的になったんじゃなかろうかと」
虐殺があれだけ行われたのは、単一民族という、均質な状態だってのが、怖いなぁと思ったり。
単一で、均質であること。日本もまさにそういう国だからなぁ。
追記
この話を聞いて意外だなと思ったのは、
「虐殺よりも、内戦の方が嫌だ。内戦をさせないためには、虐殺のことは考えない」
というカンボジア人の考え方で。タイトルにも付けているように、私も「大量虐殺があった国」として特別視している部分があるんだけど、彼らにして見ると、クメールルージュ虐殺は、国際的に有名だし、衝撃的な事件ではあるが、それは20年以上続いた内戦の一局面でしかないようだ。
だから、虐殺の罪を問わないことで、今の平和を守りたい。
というのは、当然のことで。
で、あの虐殺よりも、苦しい内戦ってどんな状態なんだろう。どんだけひどいものだろう。と思って、さくっと調べると、20世紀後半に起きた、いくつもの内戦とそれほど変わった展開をしたわけではない。内戦が続いていたころを知っているが、世界の中での重要問題のひとつであっても、延々と報道されるような重大問題ではなかった。
そう思うと、そんな内戦があった国なんて、いくらでもあるよね。
コンゴ、ラオス、ナイジェリア、エチオピア、ローデシア、アンゴラ、ニカラグア、エルサルバドル、レバノン、ウガンダ、アフガニスタン、グルジア、ソマリア、チェチェン、ウガンダ、ダルフール、旧ユーゴ、リビア、シリアなどなど。
クメールルージュ、というか、ポルポトの大虐殺で受けたような衝撃を、どの内戦でも感じたろうか。
日本語で「い」を付けて形容詞になる色は「白、黒、青、赤、黄色、茶色」の六色だけでこのうち「色」無しで形容詞になる最初の4色だけが日本に古来からある色の概念らしい。中国由来の陰陽五行説でも東西南北にそれぞれ守護神がいて(蒼龍、朱雀、玄武、白虎)それぞれにその4色が割り当てられていた
そんなある日、忍者が登場する作品と出会った。サバンナや森の中に突然忍者が現れ人々を襲い手裏剣を投げつける、形勢が不利と見るやぱっと消え失せ、とまどう相手の前で今度は不意打ちを食らわせるのだ。インド映画ゆずりの恋愛ストーリーを予想していたわたしのショックは大きかった。ナイジェリア人がナイジェリア人のために忍者を演じているのだから。実は同じ頃コンゴ共和国では忍者事件が起こっている。2002年英国BBCはこの忍者にからむ司祭誘拐事件を大きく報じ、次のように当事者を表現している。「忍者は、1990年代のコンゴ・ブラザビルの内戦における民兵組織から分かれた集団であり、古来の日本戦士にみずからをなぞらえている。その指導者は神秘的なカルト的存在であり、司祭ントミと自称する」2。わたしの胸は高鳴った。アフリカの忍者とはいったい何者であるのか、そしてどこからやってきたのか。
この小論では日本から遠く離れたアフリカにまで越境した忍者の姿を簡単にたどり、調査地である北部ナイジェリア、ソッコトのビデオ映画における忍者について報告してみたい。







